観光振興のA Anxiety
2010/01/28 木 | 研究 > 観光学 > 観光振興のAtoZ
観光振興をしなければ!という地域は多い。
小泉竹中の米国流新自由主義の煽りで、なんでもかんでも東京に吸い上げられ、産業も空洞化、なにもない地方はシャッター通りができていく、なにができるか? そうだ!観光だ! 観光で盛り上げようという流れ。
昔、日本全国ほとんどが農業で生活していた。
わずかに漁業、林業といった第一次産業。
京/大坂/江戸という三都をのぞき、地方ごとに地場の細々とした工芸があったのみでほとんどがそうだった。
しかしながら、それでも封建時代を経て、山がちで交通は不便、関所やなにやで人間の動きが極小化され、地方ごとに独自の文化が育っていった。
小泉竹中の米国流新自由主義の煽りで、なんでもかんでも東京に吸い上げられ、産業も空洞化、なにもない地方はシャッター通りができていく、なにができるか? そうだ!観光だ! 観光で盛り上げようという流れ。
昔、日本全国ほとんどが農業で生活していた。
わずかに漁業、林業といった第一次産業。
京/大坂/江戸という三都をのぞき、地方ごとに地場の細々とした工芸があったのみでほとんどがそうだった。
しかしながら、それでも封建時代を経て、山がちで交通は不便、関所やなにやで人間の動きが極小化され、地方ごとに独自の文化が育っていった。
明治になってもずっと第一次産業が主流、戦後工業化して地方に工場が立ち並び、建設ブームで土建屋さんが地方の基幹産業となった。
だけど、もはやインフラは整備されつくした(と都会人には思われている)し、そういった土建への予算はどんどん減っていき、供給過多になっていった。
人口が減っていけば需要が減るから公共交通機関も縮小される、地方にいけばいくほどみんな自動車にのるから多少遠くてもクルマで買い物にいく、ますます広範囲の商圏となることが可能なところに大規模な流通大手が大型ショッピングセンターを作り、個人経営の商店街がすたれていく。
新幹線ができたり高速道路網ができるとブロックの都会に買い物に行くし、いまやアマゾンや楽天で居ながらにしてどんな商品でも安く手に入る。もう品揃えでも、専門知識でもかなうはずもない。
また、第二次産業にしても労働集約型の産業はどんどん海外に生産を移していくので第二次産業もまた衰退していく、仕事がないからみんな都会に出て行って過疎は進む一方だ。
となれば残る産業はとなると観光ということになる。
観光でも振興しないと、観光しか振興できない、そんなデモシカ観光地がどんどん増殖していくのである。
だけど、悲しいかな、観光とはヨソモノを暖かく迎え入れ歓迎するところから始まる。
旅館や民宿やってる人ばかりが地域に住んではいない。
わけの分からない人が入ってくるのを歓迎しない人だっている。
そして地方はとりわけ近所付き合いが濃密であり、不協和があれば問題の議論すら棚上げになってしまう。
また、観光振興という概念もあまりない、昔の「旅の恥は掻き捨て」が常識だった人から、そんなとんでもないいかがわしい土地に我が愛する郷土がなるのは耐えがたい、もってのほかだという人も出てくるだろう。ましてや自分がその産業によって利益を享受できないのならなおさら不愉快だ。
「そうは言っても、自分たちだけ施設作って儲けるつもりだろう」とか、「自分の作る物を売りたいだけじゃないの?」とか嫉妬と疑心暗鬼のやっかみ合戦になったらもう振興どころじゃない。
もはやヨソモノに来てもらってお金を落としてもらわないと立ち行かないのだという危機感がすべての始まりなのだろうけれど、その観光振興こそが正しい唯一の答えだとは限らない。観光資源に魅力がないと始まらないし、受け入れ態勢だって整備できるかどうかも未確定要素が山積みだ。
だから、観光振興をしないと生き残れないという危機感自体も根拠があいまい。よってその危機感を共有すること自体、口でいうのは簡単だけど。。。の世界になる。
その上で、一部の観光に目覚めた人の間でもまた、不安が不安を呼んでおかしくなる。成功体験も失敗体験も、実績もなにもない。
自らの郷土の誇れる文物すらまともに認識できていない人ばかりが集まっているのだからしょうがない。
これらは地域文化の保護育成を怠ってきた日本の教育制度にも原因もあって仕方がないことではあるが、こういう観光地にしたい、というビジョンがそもそもないのに産業振興しないといけないという強迫観念だけで突き進むから何がお客に喜ばれる/言い換えれば売り物になる要素かもわからない。
その上で同床異夢がならんで頭を揃えてもあるべきイメージ自体が違うのだから、その大切な原点である「危機感」すらリアルに共有できない。
観光振興をするには、極端な話、住民みんなの考え方を変えるところまで必要となってくる。
そこまでして、地域でまとまっていたところに波風をたててまで、観光振興をしないといけないのか?
その疑問に口を揃えて答えられるだけのリアルな危機感の共有と、町をあげての悲壮必死な覚悟がないと、ホンモノの観光振興なんてどだい無理な話なのである。
だけど、もはやインフラは整備されつくした(と都会人には思われている)し、そういった土建への予算はどんどん減っていき、供給過多になっていった。
人口が減っていけば需要が減るから公共交通機関も縮小される、地方にいけばいくほどみんな自動車にのるから多少遠くてもクルマで買い物にいく、ますます広範囲の商圏となることが可能なところに大規模な流通大手が大型ショッピングセンターを作り、個人経営の商店街がすたれていく。
新幹線ができたり高速道路網ができるとブロックの都会に買い物に行くし、いまやアマゾンや楽天で居ながらにしてどんな商品でも安く手に入る。もう品揃えでも、専門知識でもかなうはずもない。
また、第二次産業にしても労働集約型の産業はどんどん海外に生産を移していくので第二次産業もまた衰退していく、仕事がないからみんな都会に出て行って過疎は進む一方だ。
となれば残る産業はとなると観光ということになる。
観光でも振興しないと、観光しか振興できない、そんなデモシカ観光地がどんどん増殖していくのである。
だけど、悲しいかな、観光とはヨソモノを暖かく迎え入れ歓迎するところから始まる。
旅館や民宿やってる人ばかりが地域に住んではいない。
わけの分からない人が入ってくるのを歓迎しない人だっている。
そして地方はとりわけ近所付き合いが濃密であり、不協和があれば問題の議論すら棚上げになってしまう。
また、観光振興という概念もあまりない、昔の「旅の恥は掻き捨て」が常識だった人から、そんなとんでもないいかがわしい土地に我が愛する郷土がなるのは耐えがたい、もってのほかだという人も出てくるだろう。ましてや自分がその産業によって利益を享受できないのならなおさら不愉快だ。
「そうは言っても、自分たちだけ施設作って儲けるつもりだろう」とか、「自分の作る物を売りたいだけじゃないの?」とか嫉妬と疑心暗鬼のやっかみ合戦になったらもう振興どころじゃない。
もはやヨソモノに来てもらってお金を落としてもらわないと立ち行かないのだという危機感がすべての始まりなのだろうけれど、その観光振興こそが正しい唯一の答えだとは限らない。観光資源に魅力がないと始まらないし、受け入れ態勢だって整備できるかどうかも未確定要素が山積みだ。
だから、観光振興をしないと生き残れないという危機感自体も根拠があいまい。よってその危機感を共有すること自体、口でいうのは簡単だけど。。。の世界になる。
その上で、一部の観光に目覚めた人の間でもまた、不安が不安を呼んでおかしくなる。成功体験も失敗体験も、実績もなにもない。
自らの郷土の誇れる文物すらまともに認識できていない人ばかりが集まっているのだからしょうがない。
これらは地域文化の保護育成を怠ってきた日本の教育制度にも原因もあって仕方がないことではあるが、こういう観光地にしたい、というビジョンがそもそもないのに産業振興しないといけないという強迫観念だけで突き進むから何がお客に喜ばれる/言い換えれば売り物になる要素かもわからない。
その上で同床異夢がならんで頭を揃えてもあるべきイメージ自体が違うのだから、その大切な原点である「危機感」すらリアルに共有できない。
観光振興をするには、極端な話、住民みんなの考え方を変えるところまで必要となってくる。
そこまでして、地域でまとまっていたところに波風をたててまで、観光振興をしないといけないのか?
その疑問に口を揃えて答えられるだけのリアルな危機感の共有と、町をあげての悲壮必死な覚悟がないと、ホンモノの観光振興なんてどだい無理な話なのである。




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