観光振興のF Field Work(2)
2010/02/17 水 | 研究 > 観光学 > 観光振興のAtoZ
観光振興を始めるにあたって、必要不可欠なフィールドワークのうち、AIR Checkについて、述べたいと思う。
前のエントリーに、観光振興のためには自らの立場ではなく、さまざまな顧客の立場は言うに及ばず、創造神になったつもりでと書いたが、まさにこのAIR Checkにおいて必要となる視点である。
天地創造の神になったつもりで、空からわがまちを見る。
大切なまち、手塩にかけて育てたいまち、それがためにはまちをどういうデザインをし、どういうものを配置すれば人々が住みやすく、また行き来しやすくなるのか、安全に人が生活でき、安心して暮せるようになるのか、そういう視点で見る必要が出てくる。
それは、その土地の成り立ちや歴史に密接に関係してくる話だからだ。
前のエントリーに、観光振興のためには自らの立場ではなく、さまざまな顧客の立場は言うに及ばず、創造神になったつもりでと書いたが、まさにこのAIR Checkにおいて必要となる視点である。
天地創造の神になったつもりで、空からわがまちを見る。
大切なまち、手塩にかけて育てたいまち、それがためにはまちをどういうデザインをし、どういうものを配置すれば人々が住みやすく、また行き来しやすくなるのか、安全に人が生活でき、安心して暮せるようになるのか、そういう視点で見る必要が出てくる。
それは、その土地の成り立ちや歴史に密接に関係してくる話だからだ。
昨今はgoogle mapや google earthがあるので、昔より簡単に上空からの写真や地図を確認することができる。
地図でみて、外からの観光客の動線がどうなっているのか、
目立つ見どころをスムーズにまわれるのかどうか、
大型バスは入れるのか、動けるのか、駐車場はどうか、はたまたオフロードのバイクはどうだろうか。
動いてだいたい所要時間はどれぐらいなのか、
景色についてはどうなのか、東西南北の方向はどうなっていて、太陽や月がどの方向から動いてどちらへ沈み、そのために夕日がどこから見れてどこからが綺麗そうなのか、(実際にどうなのかはLAND checkで確認する)
川はどこからどこに流れているのか。
川上はどういう地域で川下はどこなのか、それはどのような交易や交流があったのか。
海ならどちら向きでどの海流が流れ、何がとれるのか、どこと航路がつながっているのか。
そういう基本的なことはすべて抑えねばならない。
しかし、それらがで地図を広げ航空写真をチェックする理由ではない。
観光振興をしようとするまちは、どのような歴史があるのか。
延喜式でその土地が述べられていたのならおそらく少なくとも千年ぐらいの歴史があるだろうか。時代で言えば平安時代。
風土記で記録があれば、千三百年前の奈良時代にもなろうか。
その時代から、権力者は変われどずっと連綿と同じ皇室を推戴する我が日本は、空前絶後の歴史大国でもある。
まさにこの歴史こそが他国に誇れる国の光であり、観光振興を考えるにあたって絶対に欠かせない要素なのである。
さて、それら歴史書が記された時代、科学も満足に発達していないころの話。
夏には疫病が流行り、その悪霊を沈めるために祭りをした。
田舎は豊作に感謝するため祭りは秋だが、大阪や京といった都会は夏に祭りをする。
それは夏の疫病の祟りを鎮めるのが目的だからだ。
そういう時代の科学技術とはなんだったのだろう。
大陸から弘法大師が土木技術をもたらしたが、それが神業のような伝説となるような時代。運命を左右するのは星だったり霊だったり神仏だったりするものと真剣に考えられていた時代なのだ。
「アベノ橋魔法☆商店街」で出てくるように政府機関として陰陽寮がおかれ、陰陽師が活躍していたのも、国を治め民の幸せを願ったからに違いない。現代の感覚でおろかな迷信を信じていたと馬鹿にしてはならない。その当時は当時で真剣だったのだから。
そして、国中から秀才が集められて、当時の最先端の科学の粋をつくして天文、地理、気象などが研究されたのであり、その研究成果が祈祷や占術、風水なのである。
よく、平安京は四神相応の地といわれ、風水が意識されて設営されたといわれる。
また、江戸にしても天海僧正によって結界が張り巡らされ、いろいろな色の目をしたお不動さまやら寺院が配置されたと言われる。
大坂にしても、大阪城の鬼門を守るから守口だったり門真だったり、裏鬼門が千日前あたりにあたるとかも言われる。
だけど京や大坂のみならず、延喜式や風土記にのるぐらい古い土地は、多少なりとも風水によって魔物から住民を守る工夫がされているのだ。
古の人々がどうおもい、どう工夫して当時なりの都市計画を行ったのか、山や川の配置、要所要所に置かれた寺院仏閣、風水の視点で見直すと新しい発見が見えてくる。
そうすると、失われた古代の人の思い、民話や伝説との関連、豊かな物語が蘇ってきて、新たな観光資源が発掘できるのである。
天地創造の神の立場にたつのはこのような理由からなのである。
地図でみて、外からの観光客の動線がどうなっているのか、
目立つ見どころをスムーズにまわれるのかどうか、
大型バスは入れるのか、動けるのか、駐車場はどうか、はたまたオフロードのバイクはどうだろうか。
動いてだいたい所要時間はどれぐらいなのか、
景色についてはどうなのか、東西南北の方向はどうなっていて、太陽や月がどの方向から動いてどちらへ沈み、そのために夕日がどこから見れてどこからが綺麗そうなのか、(実際にどうなのかはLAND checkで確認する)
川はどこからどこに流れているのか。
川上はどういう地域で川下はどこなのか、それはどのような交易や交流があったのか。
海ならどちら向きでどの海流が流れ、何がとれるのか、どこと航路がつながっているのか。
そういう基本的なことはすべて抑えねばならない。
しかし、それらがで地図を広げ航空写真をチェックする理由ではない。
観光振興をしようとするまちは、どのような歴史があるのか。
延喜式でその土地が述べられていたのならおそらく少なくとも千年ぐらいの歴史があるだろうか。時代で言えば平安時代。
風土記で記録があれば、千三百年前の奈良時代にもなろうか。
その時代から、権力者は変われどずっと連綿と同じ皇室を推戴する我が日本は、空前絶後の歴史大国でもある。
まさにこの歴史こそが他国に誇れる国の光であり、観光振興を考えるにあたって絶対に欠かせない要素なのである。
さて、それら歴史書が記された時代、科学も満足に発達していないころの話。
夏には疫病が流行り、その悪霊を沈めるために祭りをした。
田舎は豊作に感謝するため祭りは秋だが、大阪や京といった都会は夏に祭りをする。
それは夏の疫病の祟りを鎮めるのが目的だからだ。
そういう時代の科学技術とはなんだったのだろう。
大陸から弘法大師が土木技術をもたらしたが、それが神業のような伝説となるような時代。運命を左右するのは星だったり霊だったり神仏だったりするものと真剣に考えられていた時代なのだ。
「アベノ橋魔法☆商店街」で出てくるように政府機関として陰陽寮がおかれ、陰陽師が活躍していたのも、国を治め民の幸せを願ったからに違いない。現代の感覚でおろかな迷信を信じていたと馬鹿にしてはならない。その当時は当時で真剣だったのだから。
そして、国中から秀才が集められて、当時の最先端の科学の粋をつくして天文、地理、気象などが研究されたのであり、その研究成果が祈祷や占術、風水なのである。
よく、平安京は四神相応の地といわれ、風水が意識されて設営されたといわれる。
また、江戸にしても天海僧正によって結界が張り巡らされ、いろいろな色の目をしたお不動さまやら寺院が配置されたと言われる。
大坂にしても、大阪城の鬼門を守るから守口だったり門真だったり、裏鬼門が千日前あたりにあたるとかも言われる。
だけど京や大坂のみならず、延喜式や風土記にのるぐらい古い土地は、多少なりとも風水によって魔物から住民を守る工夫がされているのだ。
古の人々がどうおもい、どう工夫して当時なりの都市計画を行ったのか、山や川の配置、要所要所に置かれた寺院仏閣、風水の視点で見直すと新しい発見が見えてくる。
そうすると、失われた古代の人の思い、民話や伝説との関連、豊かな物語が蘇ってきて、新たな観光資源が発掘できるのである。
天地創造の神の立場にたつのはこのような理由からなのである。




Comment
大祓いで
元々満たされた心身を覆い隠してしまう
包みや気枯れが疫病(ウイルス)を呼び込まないようにします
過去の人々は極微の世界が観得たのかしら