堺の見所・・・和菓子屋さん
2009/03/17 火 | 研究 > 観光学
和菓子の本場とは、、、茶道が盛んな京都や金沢を連想する方が多いと思う。
たしかにそれらもそうだけど、どっこい堺を忘れてはならない。
現在の茶の湯の元祖とも言えるのは千利休であり、その千利休が活躍したのは堺である。週刊モーニング連載のへうげものを読んでいたら理解できると思う。
その伝統からか、和菓子の老舗、名店も数多く存在する。
こちらは肉桂餅の八百源さん、創業元禄二年の老舗

中世から江戸時代にはシナモンが貴重な輸入品であった、そんな貴重品を和菓子にしました。そもそも、こちらの御家は香木や香料の商人だったそうです。
看板は昔の船を解体したものを利用。
詳しくは、ここでつべこべ述べるよりもリンク先のe-shopに書かれていますので、ご覧ください。
最近、ご主人はシナモンでカステラを作り好評なようです。

こういうところも、デパートなどに出店したり、ネット販売したり常に新しいことにチャレンジしていらっしゃいます。
次にご紹介するのは大寺餅さん ビルは戦後のものですが創業は慶長元年!、このあたりは大東亜戦争の戦災で焼ける前には、開口(あぐち)神社の境内にあり、また堺でもこのあたりが一番の繁華街だったそうです。
で、与謝野晶子は、実家が駿河屋という御菓子屋だったのに、いつもここの大寺餅を好み、東京へ移住した後もここのお餅を、今で言うお取り寄せをずっとしていたそうです。そして死ぬ間際も、ここのお餅が食べたいとおっしゃったとか。
晶子の死後も子孫が必ず買いにこられたということだそうです。


こちらの大寺餅は曾我廼家五郎さんの大好物だったようで、そのため楽屋にも出入りされ、曾我廼家という名前もこのお店だけにライセンスされているようです。
それでもって、いまや大阪でもお土産の典型となっている赤福餅も、創業者がこちら大寺餅さんで修行して独立したという謂れがあります。ですからこちらのあんころ餅こそが、伊勢の名物赤福餅の元祖とも言えるのです。
このように、というか紹介したのはごく一部ですけれど、全国的にはまだまだ知られていない名店が数多く存在するわけです。
たしかにそれらもそうだけど、どっこい堺を忘れてはならない。
現在の茶の湯の元祖とも言えるのは千利休であり、その千利休が活躍したのは堺である。週刊モーニング連載のへうげものを読んでいたら理解できると思う。
その伝統からか、和菓子の老舗、名店も数多く存在する。
こちらは肉桂餅の八百源さん、創業元禄二年の老舗

中世から江戸時代にはシナモンが貴重な輸入品であった、そんな貴重品を和菓子にしました。そもそも、こちらの御家は香木や香料の商人だったそうです。
看板は昔の船を解体したものを利用。
詳しくは、ここでつべこべ述べるよりもリンク先のe-shopに書かれていますので、ご覧ください。
最近、ご主人はシナモンでカステラを作り好評なようです。

こういうところも、デパートなどに出店したり、ネット販売したり常に新しいことにチャレンジしていらっしゃいます。
次にご紹介するのは大寺餅さん ビルは戦後のものですが創業は慶長元年!、このあたりは大東亜戦争の戦災で焼ける前には、開口(あぐち)神社の境内にあり、また堺でもこのあたりが一番の繁華街だったそうです。
で、与謝野晶子は、実家が駿河屋という御菓子屋だったのに、いつもここの大寺餅を好み、東京へ移住した後もここのお餅を、今で言うお取り寄せをずっとしていたそうです。そして死ぬ間際も、ここのお餅が食べたいとおっしゃったとか。
晶子の死後も子孫が必ず買いにこられたということだそうです。


こちらの大寺餅は曾我廼家五郎さんの大好物だったようで、そのため楽屋にも出入りされ、曾我廼家という名前もこのお店だけにライセンスされているようです。
それでもって、いまや大阪でもお土産の典型となっている赤福餅も、創業者がこちら大寺餅さんで修行して独立したという謂れがあります。ですからこちらのあんころ餅こそが、伊勢の名物赤福餅の元祖とも言えるのです。
このように、というか紹介したのはごく一部ですけれど、全国的にはまだまだ知られていない名店が数多く存在するわけです。




Comment
実は名前だけで、食べたことなかったりします…笑。
肉桂餅はうちの高校のすぐ横です。大変おいしゅうございます。
くるみ餅は残念ながら大寺餅はもひとつぱっとしません。
やはり、かん袋でお食べになるのがよろしいのではと。
かみさんの田舎には小島屋の芥子餅が喜ばれます。
そうですね、堺のご出身でしたね。 たしかにかん袋さんの話もでておりました。
またいろいろと教えてください。