表面でさらりとなでるような観光では、すぐ飽きられてしまう。
自分の町を愛してもらい、観光客に固定客になってもらうためにはどうした良いか?
おそらく、ある程度の人間関係、擬似でもよいがそれを作ってしまうやり方がある。
しかしながら、戦略として取り組むのには個人プレーに頼れない。仕組みとして推進しなければならない。そうやって人間関係を築くためには時間がかかるし、みんなの協力を得ていかなければならない。
だけど、擬似でもいいとなると話は別だ。逆に観光地にタレント性のある人がいたとすると、タレントさんはお客を知らないけどお客はタレントをよく知っているという現象になる。
わざわざその人に興味を持ち、人が観光資源となり尋ねてくるようだと上出来だ。
観光振興を地域で戦略的組織的に推進するにあたり、考えなければならないのがその品質管理。
品質といっても多種多様。衛生面やサービス面いろいろあるから、基本的な考え方を述べたいと思う。
観光地がブランドとなっていくにつれ、お客様の事前の期待はふくらんでいきます。それに応えるように満足度を上げないとがっかりするお客様が増え、さほど期待していない場合よりも反対のダメージが大きくなる。
品質とは、事前の期待を裏切らない、そのブランドの根本的な価値や魅力を裏付けするものでなければいけません。
だから、仕組みとして人気を再生産し、評判を落とさないためにも、その品質の裏付けについては、主体となるところがきちんと保証しないといけないのです。
手前味噌で恐縮だが、私の父親が友人と共謀して世の中に新しい習慣を定着させてしまったイベントがある。
節分に太巻きを恵方に向かって黙々とまるかじりするという風習。
今から30年以上前の話、当時父はくいだおれの専務、友人こと山路昌彦氏はいまでこそ冷凍たこ焼き大手、元祖たこ昌の会長であるが当時は海苔問屋の三男坊で、海苔の商業組合青年部長だった。
これまた、Jで述べたJCで知り合った二人は意気投合。
ある日悩みに悩んでいた山路さん、食卓の洋風化で海苔が売れない。
どうしたら売れるようになるのか、なんとか海苔が大量に売れる販促の方法はないものか? と悩んで相談した。
私の父は一言、「神さんつかえ」と言った。
観光を振興させるのはなんのためだろう?
語るべくもないが、大目的を忘れてはいけない。
地域の活性化? ではその活性化はどのようなヴィジョンなのか?
今だけスポットで観光客が来てくれればいいのか?
こなくなったらまた別の手を考えて打てばいいのか?
ハコモノだってなんだって、後先考えずにその場しのぎ、その場で土建屋が儲かればいいっていう感覚ではないのか?
同じことは観光振興でもいえるのではないか?
私、当たり前すぎることしか言ってません。だけど結構走り出すと忘れやすい。
単に打ち上げ花火のイベントをやればそれでいいのかといえば、皆さんNOとおっしゃる。だけどやっていることはそれと整合性がとれていない。
東京一極集中が叫ばれて久しい。
この現象は、戦争やっているころからの惰性。
東京だけが都なのは、戦時中の効率優先で府と市が合併させられたことに端を発する。
それから、東京にある中央官庁の役人が横着して、なんでも民間をよびつけてことこまかく指導したがるから、わざわざそこにいかないと商売にならない体質に日本を変えた。
三割自治でもって、なんでも国からの地方交付税や補助金でないとまかなえないし、バス停一つ動かすにしても中央の許可が要った時代もあった。
もっと一番ひどいのがマスメディアの一極集中。
本の取り次ぎは東京にだけ、全国放送のネットワークのキーも東京だけ、最近になればBSにしたって東京の局にしか許可を下ろさない。
こんなことやっているから東京にばかりなんでも集中する。