よく耳にする主張があります。
「日本語しかできない子どもを、親と一緒に強制送還するのは人権侵害だ。
子どもだけでも日本に残せるようにすべきだ」
気持ちは分かります。ただ、現場の感覚から言えば、これは極めて“甘い”議論です。
なぜなら、日本の入管実務の前提はこうだからです。
• 日本は出生地主義ではなく血統主義
→ 親が日本人でなければ、日本で生まれても子どもは日本人ではない
• 在留資格がなければ、親も子も退去強制の対象
• 基本は「家族単位で出国させる」運用
→ 「親だけ追い出して、未成年の子だけ日本に置く」は、よほどの特殊事情がない限り採用されない
これがスタートラインです。
そのうえで「それでもせめて子どもだけでも残したい」と言うなら、“国家に何かを要求する”前に、あなた方活動家自身がどこまで具体的に責任を負うつもりなのか が問われます。
1. 「日本語しかできない」は、子どもを残す十分条件にはならない
まず押さえるべき現実はこれです。
「日本語しかできない」「日本の学校に慣れている」
→ それだけでは、特別在留許可の十分条件にはならない。
なぜか。
• 「日本語しかできないようにしてしまった」のは、
親と周囲の大人が、不安定な在留状態のまま何年も放置した結果 でもある
• 法や行政は、「違法状態を長く続けた人ほど得をする」制度は作らない
だから、
「かわいそう」「可哀想だと言いたい」という感情だけでは動かない、というのが現実です。
2. 子どもだけ残すなら、“受け皿”ではなく“新しい親”を用意するレベルが必要
中学生・高校生と言っても、まだ未成年です。
保護・監護の責任は誰が負うのか。
「日本の身元保証人がいればいい」
「スポンサーが学費を出せばいい」
——そんなレベルの話では足りません。
本気で子どもだけ残そうとするなら、最低でも次のような体制が必要です。
(1) 実際に生活を共にする監護者=日本側の“親”
• 名義だけの「保証人」ではなく、
実際に同居して日々の生活を引き受ける大人が必要
• できれば親族だが、そうでなくても
• 長期安定した収入
• 住居スペース(部屋・ベッド・生活空間)
• 仕事と両立できる時間的余裕
を備えた人間であること
「週末だけ様子を見る」「生活は自分で頑張ってね」
——これは監護ではなく放置です。
(2) 家庭裁判所での手続きもセットで引き受ける覚悟
• 親が国外に出るなら、
• 監護者指定
• 未成年後見人選任
といった家庭裁判所の手続きも視野に入れないと、本来は筋が通りません。
• つまり、「私はこの子の法的な責任者になります」と、
公式に宣言する覚悟が必要になります。
「活動として声を上げる」ことと、
「戸籍・裁判所の手続きを背負って一人の未成年の人生を抱え込む」ことの間には、
ものすごい距離があります。
3. 経済的な責任:18歳までじゃ足りない、その先も見ているか
「スポンサーをつければいい」という話も、現実をかなり舐めています。
• 中学生からなら、少なくとも 大学卒業相当の年齢(22歳くらい)まで
生活費・教育費を見通す必要があります。
• 学費(公立・私立)、制服・教材、部活動、医療費、スマホ代、交通費……
毎月何万円、年間いくらかかるか、ざっくりでも試算したことがありますか?
• その負担を、
• 誰が
• どの名義で
• どの口座から
• 何年間負い続けるのか
単発のカンパやクラウドファンディングでは、
子どもの人生の20年間は支えられません。
4. 「学校・自治体を巻き込む」とは、こういうことを意味する
「学校や行政が支えるべきだ」という声もありますが、
現場でそれを言うなら、次のことを並行してやらなければ説得力がありません。
1. 通学している学校から、実名入りの嘆願書・意見書を取る
2. 教育委員会・自治体の子ども家庭支援の部署に正式に相談し、
担当者名のついた文書で支援体制を書いてもらう
3. それを前提に、活動家側も “継続的なフォロー(面談・訪問・記録の保持)” を引き受ける
ここまでやって初めて、
「この子には、親に代わって見守るネットワークがあります」と胸を張って言えます。
単に記者会見で名前を挙げて涙ながらに訴えるだけなら、
子どもの顔と名前を世間にさらしただけで終わりです。
5. 国に要求するなら、まず「自分たちがどこまでやるか」を明示すべき
「子どもの人権を守れ」と叫ぶのは簡単です。
しかし、入管・行政・裁判所は 「その後の現実を誰が背負うのか」 を冷静に見ています。
• あなた方は、その子の実際の親代わりになる覚悟がありますか?
• 20年単位でのお金と時間と法的責任を負う準備がありますか?
• その覚悟を、名前と印鑑をもって示す気がありますか?
それがないなら、
「日本語しかできない子どもだから残せ」という主張は、
子どもの人生をダシにした“自己満足の正義感” と見なされても仕方がない
と、私は思います。
6. 厳しい結論
日本語しかできず、日本で育った子どもを本当に日本に残したいなら、
• 親子全員で特別在留許可を目指す
• それが難しいなら、子どもを引き受ける**日本側の大人(=第二の親)**を本気で探し、その人と一緒に制度と向き合う
• 活動家は「声を上げる」だけでなく、
法的・経済的・生活上の責任を自分たちが背負う覚悟を示す
ここまでやって、ようやく「可能性」が見えてくるかどうか、という世界です。
「可哀想だから国が何とかしろ」
ではなく、
「この子のために、ここまで具体的に責任を負う大人がすでにいます」
と示して初めて、行政と交渉できる土俵に乗る——
甘い夢を振りまくのではなく、
子どもに本当に必要な“現実レベルの覚悟”を、まず大人が自分に突きつけるべきだ——
そういう話じゃないでしょうか?
それもせずに国を非難ばっかりしてる人権活動家は私に言わせれば無責任な偽善者でしかない。
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